2010年03月 の記事一覧
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先日Amazon.ukを探索していたら発見。
Number 10 [DVD] [1983] パッケージ変更か?と見てみたら、
「This title will be released on April 5, 2010.」
ということで、2010年4月5日、発売予定だそうです。
Amazon.uk で買えます。
「Number 10」は、1983年にイギリスで制作されたTVシリーズです。
“Number 10”とはイギリス・ロンドンシティのダウニング街10番地のこと。
そこはイギリスの首相官邸の所在地で、イギリス政府を指す意味でも使われるのだそうです。
7人のイギリス首相がそれぞれ主人公となって7つのエピソードがあり、
ジェレミーはエピソード7の「Bloodline」で主人公「William Pitt the Younger」(ウィリアム・ピット、通称小ピット)を演じています。(
IMDB より)
以下商品説明を引用。
Product details Actors: Jeremy Brett , David Langton, Richard Pasco, Dennis Quilley, Ian Richardson Format: PAL Region: Region 2 (This DVD may not be viewable outside Europe. Read more about DVD formats.) Number of discs: 2 Classification: 12 Studio: ITV DVD DVD Release Date: 5 April 2010 Run Time: 350 minutes
引用終わり。私が注目したところを赤くしてみました。
パッケージにはジェレミーの名前がありませんが、商品説明にはジェレミーの名前があります。
そしてリージョンコードが2!
私の場合、PCでそのまま見ることが出来る「リージョンコード2」は好印象。
既に発売されており、私も所有している「リージョンコード1の『Number 10』」は3枚組でしたが、
これは2枚組のようです。
でも「Run Time」を見ると、どちらも約350分。
商品価格は、2枚組の「リージョンコード2」の方がお手頃。
ただ、7エピソードの内、
この2枚組にどのエピソードが収録されているかはっきり書いてありません。 そこが心配だ…
背表紙をズームアップして見てみましたが、ジェレミーではありませんでした。
うーん。カスタマーレヴュー待ちしてみます。
購入するなら、ジェレミー出演のエピソードが確実に収録されている「リージョンコード1の『Number 10』」の方が、今のところは無難かもしれません。
※リージョンコード1の「Number 10」
こちらは
Amazon.com で販売中。ジェレミー主演のエピソードも収録。
ただですね、私この頃のイギリスがちんぷんかんぷんのため、未見です…
勉強してから観ようと思ってまして…いつになるやら(苦)
続き以下は、おまけです。
ところで、アマゾンの商品ページに「Watch a Related Video」といって
商品の一部が見られる動画がありますよね。
UKアマゾンの方の動画 を見たら、
残念ながらジェレミーのエピソードではなかったのですが、
あれ? あれ? あれれ~?? どこかで……どこかでお会いしませんでした?? な方がいらっしゃいました。
アップになって
おおおお!!! と突然の“再会”に興奮。
未見なもので…びっくりしました。
この方には、毎年12月にお世話になっております。
帽子が大きいわけがわかりましたよ! なーんて。
以上、おまけの「どこかでお会いしませんでしたか報告」でした(笑)
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今日は、作品が描かれた時代はどんな時代だったか、感じてみようと思います。
『レベッカ』は1938年に発表された作品です。
1938年とは、第一次世界大戦と第二次世界大戦、2つの大きな戦争に挟まれた約20年間に属する時代です。
この「戦争と戦争の狭間の20年間」という時代は、これまでの古い秩序が崩れ、新しい勢力が力を伸ばした時代。
国際平和が唱えられ、平和を維持するための仕組みが生まれました。しかし、表面上平和そうに見えても実は多くの不満がくすぶり続けていた時代でもありました。
1938年は、そんな不満が大きな力となって膨張し始め、摩擦を生んでいた時期です。戦争の足音がひしひしと迫ってきている時期でした。
『レベッカ』は現実世界の不安と緊張が織り込まれた作品なのだな、と私は感じます。
それまであった権威の崩壊。
押し寄せる先行きの見えぬ不安。
どうしてよいかわからず、逃避したくなるような現実。
一度去った危機が再び海の向こうからやってくる不吉な予感。
けれど、希望を失わなず危機に立ち向かう。
弱々しかった女性が夫の愛を獲得し、強く成長する。そして男女が力を合わせて危機を乗り越えようとするドラマチックな展開は、今読んでも十分面白いけれど、当時の人々の間でベストセラーになったのもわかるような気がします。
ジェレミーは1938年当時5歳だったんですねえ(しみじみ)。 ということで、1938年前後の大きな出来事をウィキペディアで調べ、
そこにジェレミーの子供時代を重ねてみました。
文字だらけで画面が黒っぽくなった…
時代の雰囲気を感じ取っていただけたら、と思い年表なぞ作ってみました。
ざっと調べただけなので細かいところが違っていたらごめんなさい。
ジェレミーの子供時代については、りえさんのブログを参考にさせていただきました。
りえさん、ありがとうございます<(_ _)>ペコリ
●その1:第一次世界大戦 第一次世界大戦は、1914年に始まりました。ヨーロッパでは数十年ぶりの戦争だったためか、戦争に参加することになった各国の国民は、戦争にロマンチックな幻想を抱き、大熱狂でそれを歓迎しました。そして、愛する祖国を守ろうと多くの若者が軍隊に志願しました。
この戦争は当初、すぐに決着がつくだろうと言われていました。絵画や物語のように、大きな会戦が起こって劇的に展開し『クリスマスまでには戦争が終わる』と楽観視されていました。
しかし、戦争は長期化。膨大な犠牲者を生み出し、予想もしなかった結果をもって終了しました。消滅した国家があり、新しく誕生した国家があり。ヨーロッパの地図は激変したのでした。
そして莫大な戦費が費やされ、多くの若者が犠牲となったため、戦勝国は敗戦国に報復的で過酷な賠償を要求することになりました。
第一次世界大戦によってこれまでの古い体制が完全に崩壊し、新しい秩序(夢はあるけど古い体制から見ればなんだかよくわからないもの)が生まれました。世界中に植民地を持ち、18世紀~19世紀にかけて超大国として栄華を極めたイギリスも20世紀では風向きが変わります。イギリスにとっても安定した時代から先行き不透明な時代になりました。
このころのジェレミー関連情報 ジェレミーのお父さん、ヘンリー・ウィリアム・ビル・ハギンズは軍人として戦争に行っていました。
●その2:ヴェルサイユ体制と世界恐慌 第一次世界大戦のあまりにも大きな犠牲。反省と厭戦感から国際平和を保つ努力がなされました。
ヴェルサイユ講和条約が結ばれ、国際連盟が発足しました。しかし土台が帝国主義と過酷な報復的賠償では解決には程遠く、結果的に憎しみが憎しみを生むことになってしまいます。国際連盟は加盟国が少なく、あまり機能しませんでした。
ソビエトの成立、共産主義の高まり、民族自決の気運などの新しい風が吹き荒れる第一次世界大戦後まもなくの時期に生まれたファシズムは、その勢力をしだいに広げていきました。(イギリスは、共産主義の蔓延に対抗する楔としてイタリアのムッソリーニを支援。1926年にはイタリアでファシスト党一党独裁体制が確立します)。アドルフ・ヒトラーが「ドイツ労働者党」(のちの「国家社会主義ドイツ労働者党」、いわゆる「ナチス」)に入党したのもこの頃です。
一方で、アジアの覇権はイギリスからアメリカへ移ります。1920年代、第一次世界大戦以降の好景気が続くアメリカは経済が空前の大繁栄をとげ、イギリスに変わりアメリカが世界経済の中心になります。
イギリス国内ではアイルランドの独立、労働党躍進、男女平等選挙権など、次々と変化の波が起こります。
この頃の日本について。
第一次世界大戦中は好景気に沸きましたが、戦後欧州の製品がアジアに戻ってくると戦後恐慌が発生。1923年には関東大震災が契機となって震災恐慌、1927年に昭和金融恐慌、そして1929年には世界恐慌の余波を受け、日本経済は慢性的不況に陥ります。日本は経済危機の活路を満州とアジア南方に求め、アメリカは日本を警戒し始めました。
このころのジェレミー関連情報 参考:IMDB 1920年 ジェレミーのお父さん、軍を離れる。 1923年 ジェレミーのお父さんとお母さん(エリザベス・エディス・キャドバリー)が結婚。3人の子供(ジェレミーのお兄さん:ジョン、マイケル、パトリック)が生まれます。 1929年 ハギンズ一家、バークスウェルのGrangeに引っ越す。
その3:ファシズム・ナチズムの台頭から第二次世界大戦前夜 『レベッカ』発表 世界中に襲い掛かった最大の波、1929年の世界恐慌。この未曾有の経済不況により、イギリスは国力の衰退が決定的になります。もはや広大な植民地を維持する事ができなくなり、ウェストミンスター憲章を制定します。この憲章は自治領にある程度の独立性を付与するものでした。そうしなくては、支配権が確保できなくなっていたのです。
1930年代、世界恐慌への対策としてイギリスやフランスは自らの経済圏を保護する「ブロック経済体制」を敷きます。アメリカではニューディール政策が打ち出され、この不況を乗り越えようとします。
しかしこの解決法は広大な植民地市場や豊富な資源を持っているからできることであり、大きな経済ブロックを持てない日本は不況から脱却することが難しく、植民地を持たないドイツやイタリアにいたっては完全に置き去りにされました。ドイツでは、厳しい現状を打破する新しい政治を求める声が高まります。1933年、ドイツではヒトラー内閣が成立、翌年ヒトラーは総統に就任します。
ジェレミーはこのころ産声を上げました。 国家の危機を“膨張”で乗り切ろうというのが、日独伊共通の志向でした。ナチス・ドイツやファシスト・イタリアは拡大方針を打ち出し、公然と侵略を開始します。イギリス、フランスとナチス・ドイツの関係は一気に緊張状態に。
ナチス・ドイツに対し、イギリス首相ネヴィル・チェンバレンは宥和政策を取りつづけます。これは第一次大戦の反省から、ヨーロッパ全土を巻き込む戦争の可能性についてイギリス国内で強い拒否反応があったこと、また経済的にもかつての勢いがなかったことなどから取られた政策でしたが、結果的にヴェルサイユ体制の崩壊を招く事になってしまいました。
そして、再び戦争が起こってしまうのです。
戦争の気配がひしひしと迫る時に、発表されたのが『レベッカ』でした。
『レベッカ』初版本(ウィキペディア英語版より)
このころのジェレミー関連情報 参考:りえさんのブログ (http://blog.goo.ne.jp/rie_002/e/7b2e85c2a48625ffce0bc9854c6210d4 http://blog.goo.ne.jp/rie_002/e/d9e6223263935353a9b88e2540453a93) 1933年 ジェレミー誕生 1936年頃 ジェレミー、お屋敷の改築工事中のセメントに手形を残す! ロバやポニーに乗り始めたのもこのころでしょうか。
●その4:第2次世界大戦へ 『レベッカ』映画化 ここはさらっと流します。。
このころのジェレミー関連情報 参考:りえさんのブログ (http://blog.goo.ne.jp/rie_002/e/5a8add6b388981d26ed3532f0fb65555 http://blog.goo.ne.jp/rie_002/e/7b4cf6fe64e43ef6dcc2055bbbdb484c) 1939年 ジェレミーのお父さん軍隊へ戻る ローレンス・オリヴィエ出演の映画『嵐が丘』公開 1940年 ドイツ軍によるコヴェントリー空襲 お母さんは避難してきた人々を受け入れ、Grangeは40人以上が同居することに。 1944年 ローレンス・オリヴィエ主演の映画『ヘンリィ5世』公開 ジェレミーはこのころ近所の映画館でオリヴィエに「出会った」んですね~ ジェレミーは、かわいらしいおぼっちゃんに成長♪ いたずら好きで、馬を乗りこなし、映画が大好き。演じる楽しさを覚えたのもこのころかしら。
第二次世界大戦も書きだすとさらに長くなるので、さらっと年表のみにしてしまいました(汗)
********************
『レベッカ』は、こういう時代背景がわかっているとさらに面白く読めると思いました。
とくにこの時代の「悪い方向に進んでいくことが分かっていてそれを止められない」息苦しさややるせなさが、
レベッカに絡めとられて身動きできなくなっていく登場人物の心理状態と同じだと私は感じます。
それにしてもジェレミーの子供時代って大変な時代だったんですね…
ご両親、兄弟、乳母さん、その他たくさんの人たちへ、私は感謝の気持ちを送ります。
みなさんのおかげで大変な時代の中でもジェレミーはすくすくのびやかに育ちました。
私たちがジェレミーからたくさんの夢をもらえたのも、みなさんが見守ってくれたおかげです。
ありがとうございます!
と、お空の星に向かって叫ばずにいられなかった週末でした。
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3月に入ってから、いつも以上に慎重を要する事ばかり。
更新がゆっくりすぎてすみません。
3月中になんとかします。
今「Deceptions」読んでいます。DVDがあまりにも面白かったので思わず取り寄せてしまった。
一度に1~2ページ読むのがやっと。
英語わからないくせに辞書を引くのが面倒くさいので、
推量しながら、いや想像しながら、ストーリーの骨だけ追って読んでいます。
それでも面白い。
『レベッカ』の次は『Deceptions』かなあ~
ヒッチコック版『レベッカ』(1940)の鑑賞記 続き(後半)です。
前半はこちら。
映像化された『レベッカ』①ヒッチコックの映画(1940) ばっちりネタバレしておりますので、ご注意ください。
前半は、いないはずのレベッカの存在感&デンヴァース夫人がひたすらに怖かったですね。
でも、原作はもっとレベッカの存在が濃いです。 音もなく「わたし」の背後に立っているような気がしてきます。濃ゆいです。
私としては、ぜひ、ほんとうのレベッカを肌で感じていただきたいです。
原作、オススメです♪
さて後半です。
映画『レベッカ』(1940)は、
原作のストーリーに大きな改変が見られます。 今回は、その原作との違いに注目しながら鑑賞記を綴ってみようと思います。
あちこち違うところはあるのですが、気になったところをあげてみます。
その1:「わたし」の成長のタイミング。 映画では、デンヴァース夫人にレベッカの寝室で素晴らしさ・優位性を見せつけられた「わたし」は、レベッカに対抗するかのようにデンヴァース夫人に向かって「わたしがデ・ウィンター夫人です!」と啖呵を切り、仮装舞踏会を催すことでレベッカに対抗し、マキシムに認めてもらおうとします。
原作と順番が違います。 原作で「今はわたしがデ・ウィンター夫人です」と言うのは、マキシムの告白を聞いた「わたし」が大人に成長してからです。マキシムの愛を勝ち得た「わたし」の言葉であり、すでにレベッカの存在をものともしない自信と落ち着きを身に付けて言う言葉です。レベッカに対抗しようとして言う言葉ではありません。
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仮装舞踏会でデンヴァース夫人にまんまとはめられ、追い詰められる「わたし」は、突然の爆発音でハッと我に返ります。それは、マンダレイの入江で難破した船が発した信号弾でした。「わたし」はマキシムを追って入江に向かいます。濃い霧が幻想的なシーンですね。
その2:レベッカの死因。 「わたし」は、浜辺のコテージの中に座り込んでいるマキシムを見つけます。
なんでマキシムがコテージにいるのでしょうか 近づきたくなくてあれだけ嫌がっていたのに。すごく疑問なんですが、時間の都合…?
マキシムはがっくりと肩を落とし、脱力しているようです。「わたし」が謝罪を口にする時も上の空。「もうだめだ。もうまにあわないのだ。」「レベッカが勝ったのだよ」と言い始めるマキシム。そしてマキシムの長い・驚愕の告白が始まります。
いないはずのレベッカを追うカメラワークが怖い…
いきなり電話が鳴るところではビクッとしてしまいました(泣)
ええと、表題のレベッカの死因についてですが、これは当時のハリウッドの規定に引っ掛かったから変えざるを得なかった、ということのようです。(主人公が犯罪者なのがご法度だったようです。)だからといって「レベッカが自分で転んで頭を打って死んでしまった」というのは…うーむ、直前に怒りで頭が真っ白になっていたから突然の事態に呆然としてしまったのだろうか。マキシムがいくらゴシップを恐れたとはいえ、死体を船もろとも沈める行動が謎になってしまいませんかね…
そのせいとはいいませんが、マキシムがとても繊細な人に見えます。直球で言えば頼りない・女々しい感じです。告白後のマキシムは目に力がなく、「わたし」がいないとだめみたいです。
この後レベッカのいとこファヴェルに脅迫されるのですが、マキシムは波に翻弄される小舟のように頼りなくなってしまいます。デンヴァース夫人の前でファヴェルに“殺人者”扱いされても言い返せない…むしろ図星なのか?!と思わせる表情をしてしまったり。
その3:死因審問の時に「わたし」をマンダレイに帰してしまう。 これは納得いかないです。なぜだ!なぜ帰してしまうのだ!
ラストシーン(火事に巻き込まれ、助け出される)のための改変なんでしょうけど、せっかく
「わたし」がマキシムの告白によりびっくりするほど逞しくなる (大人に成長、というより顔つきまで変わってしっかりするので「逞しい」の方が似つかわしい)のに、男性に助けられる弱々しい女性に戻っちゃうじゃないの。。。
原作では「
ケリスで死因審問→マンダレイに戻ったところでファヴェルがやってきて脅迫→翌日ベーカー医師のもとへ行き真相判明→マンダレイへ帰る 」という流れです。マキシムと「わたし」はいつも一緒に行動しています。
しかし映画では「
ケリスで死因審問→休憩中にファヴェルの脅迫→「わたし」を帰す →死因審問を中断してベーカー医師のもとへ行き、真相判明→マンダレイへ帰る 」という展開。
重要な場面なのに、「わたし」が消えてしまうのですよ。確かに傍観者的な立場かもしれませんが、「わたし」はマキシムと対等の、大人の女性になったのですよ。それを消してしまうなんて。 ううーん、納得できない。
(もうひとつ。審問にベンが登場してちょっとびっくりしましたが、これは許容範囲かな…)
「わたし」がいない分、フランクが「わたし」の代わりのような立場になりますが…。
フランク、健気すぎ。 原作ではいるはずの「わたし」がいないため、マキシムの「あれはレベッカの最後の芝居だったんだ…」という告白をフランクが聞くことになります。黙って聞くフランク。マキシムにコートを着せてあげるフランク、一緒に車に乗ってマンダレイに帰ってくるフランク。マキシムの隣でウトウトするフランク…
おーい!そこまで「わたし」の代わりしなくてもいいじゃないかー
その4:ラストシーン 原作を読んだ方はお分かりかと思いますが、
原作のラストにマンダレイが燃えている直接の描写はありません。 えっと思うくらい、あっけなく終わります。どうして火がついたのかもはっきりしません。原作は突然終わり、読み手は突き放されたまま本を閉じることになるんです。
それが映画ではしっかり最後まで(?)描かれます。
炎上する屋敷。召使いが家財道具を運び出し、前庭は大騒ぎになっています。駆け付けたマキシムは「わたし」を探します。でも名前がないからフリスに「デ・ウィンター夫人はどうした?」と尋ねます。すると「わたし」がマキシムを見つけ「マキシーム!!」と叫ぶ。
マキシムは「わたし」をしっかりと抱きしめ、2人は屋敷を見上げます。燃え上がる屋敷の、レベッカの部屋に動く影。それはデンヴァース夫人でした。デンヴァース夫人は崩れ落ちる天井の中に消え、火は「R」の刺繍を飲み込み更に燃え上がる…
これが映画のラストシーンです。レベッカは火の中に消え、あたかもマキシムと「わたし」がレベッカに勝利し、幸せになることを予感させるラスト。時代や規定のためでしょうか?ハッピーエンドで終わらなくてはいけなかったんでしょうね。
映画『レべッカ』(1940)は、決着がついた形で終わるという意味で、安心して見る事が出来ます。
最後はそれぞれの役と演じている役者さんについて。
昔の映画は登場する役者さんが美男美女揃いですね~! 目の保養になりました♪ マキシム役の
ローレンス・オリヴィエ 。悩ましい感じがたまらない。オリヴィエ演じるマキシムは、繊細で優しい悩める紳士。怒るより嘆く方が多いかもしれない。で、原作通り自己中心的な感じで。フィルムを見る場面なんか「わたし」の気持ちをわかってやれよ!と思ってしまいます。でも実は、私のイメージしていたマキシムは、この“ちょっと頼りないマキシム”が最も近かったりします(^^;)
ちなみに、作品中には
マキシムと「わたし」のラブラブなシーンが結構多い ですね。
「わたし」役の
ジョーン・フォンテーン は表情豊かで主人公の繊細な心の動きが感じられる演技でした。冴えない服を着て前かがみになって歩くと卑屈そうに見えるものですね。とっても綺麗な人。
フランクは、原作同様すべてを知っているかのよう。それでもマキシムに忠誠心厚く、マキシムを支えます。フランク役の
レジナルド・デニー はとっても渋くて素敵です。
外せないのがこの方、デンヴァース夫人役の
ジュディス・アンダーソン !抑えた演技が怖いです…(泣)子供の頃見たらトラウマになりそうです。
ベアトリスとガイルズには、たまげました。私のイメージ通りで感動~~!!ガイルズはうっかり八兵衛みたいな役回り。緊張を少し和らげるようなコミカルな感じでした。舞踏会のときの仮装は面白すぎ(笑)。どなたかと思えば、ベイシル・ラスボーンのホームズの相棒、ドジでまぬけ(泣)なワトスン君役の
ナイジェル・ブルース でした!
この作品でもっとも私が見入ってしまった人物がジャック・ファヴェルでした。魅力的すぎやしませんか?このファヴェル。
気障っぽくてどこかユーモアがあって怪しくて。後半は主役のマキシムより目立ってました。ファヴェルを見ながら私は「この役者さん、皮肉屋でキザっぽいからヘンリー卿やったら似合うだろうな~」と思っていたのですが、ファヴェル役の
ジョージ・サンダース は1945年の映画「The Picture of Dorian Gray」で実際にヘンリー卿を演じていました! ひゃ~ 一人で興奮。
ヒッチコック版『レベッカ』(1940)鑑賞記は、以上です。
長々お粗末さまでした。
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